ほとんどの日本人が知らない日本の国歌「君が代」の意味



国歌になるまでの君が代

 

 

少し歴史を振り返ってみましょう。この歌はもともと年賀のためであったのですが、鎌倉期~室町期に入ってからは、おめでたい歌ということで賀歌だけに限らない使われ方となってゆき、いろいろな歌集にも祝いごとの歌として記載されることになりました。

 

仏教の延年舞ではそのままで用いられ、田楽、猿楽、謡曲などでは多少変形されて引用されました。一般的には、宴会の最後のしめの歌、お開きの歌、舞納め歌というようにして使われていたようです。

 

江戸時代になっても、おめでたい歌として、小唄、長唄、読本、祭礼歌、浄瑠璃、仮名草子、浮世草子、盆踊り、舟歌等に、そのままの形だったり、変形されたりして使われました。

 

そして明治維新で新政府となりました。維新の翌年1869年に薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)が設立され、イギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長が、隊員に対して国歌または儀礼音楽を設けるように進言し、それを受けて、当時の薩摩藩歩兵隊長の大山弥助が、大山の愛唱歌だった薩摩琵琶「蓬莱山」の歌詞が採用されました。

 

しかしこれは洋風の曲で、日本人には馴染みにくく、普及しなかったのです。その後1880年(明治13年)になってから、宮内省式部職雅樂課の旋律を、更にドイツ人の海軍軍楽教師であるフランツ・エッケルト氏が西洋風和声を付けたのです。これが試演を経て、軍務局長上申書が施行され、国歌としての「君が代」ができあがったのです。その年の天長節に初めて公に披露されたのです。