ほとんどの日本人が知らない日本の国歌「君が代」の意味



世界大戦前と大戦後

 

 

国歌「君が代」は、第二次世界大戦前と大戦後で立場が随分と異なります。さて、明治時代に大山弥助氏らが登場させ、専ら国歌として知られるようになった「君が代」ですが、大日本帝国憲法により、天皇が「万世一系」であった時代背景であり、第二次世界大戦前では、自然に国家平安の歌として親しまれていたのです。

 

修身の教科書でも「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。」と書かれています。

 

ところが第二次世界大戦後は様相が変ってきます。GHQ(連合国軍総司令部)が日本を占領して、日の丸掲揚を禁止しました。それとともに、君が代の斉唱も全面的に禁止したのです。その後も、厳しく制限され、特定の場合にのみ掲揚、斉唱を認められました。

 

1947年(昭和22年)5月の憲法施行記念式典でも演奏されたのは「君が代」ではなく、憲法普及会が選定した国民歌「われらの日本」でした。1999年(平成11年)の日本国政府の公式見解では、国旗国歌法が提出された段階での「君」とは、大日本帝国憲法下だったのでズバリ天皇を指していたが、近年の日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当、としています。

 

「代」は本来時間的な概念ですが、転じて「国」を表す意味もあります。つまり、君が代の歌詞は、天皇を日本国民統合の象徴としている我が国の、末永い繁栄と平和を祈念したもの、理解するようになったのです。